ユーキャン「太平洋戦争 全10巻」を実際に見て詳しく解説

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ユーキャン「太平洋戦争」全10巻

 
ユーキャンが販売しているDVD集「大平洋戦争」を紹介します。
私も以前購入して全部見たのですが、太平洋戦争のことが詳しく解説されています。当時の写真や映像がふんだんに使われていて、分かりやすいです。
このコーナーではユーキャン「太平洋戦争」DVDについてあらためて実際に見て、内容を詳しく解説していきたいと思います。
ユーキャンでは、第1巻から第5巻までを「第1集」、第6巻から第10巻までを「第2集」と区切っています。
DVDの字幕設定で、音声について字幕を出すこともでき、耳が遠い人にとっても楽しみやすいDVDになっていると思います。

太平洋戦争 第一集+第二集 DVD全10巻


 

第1巻 太平洋戦争への道

【内容詳細】
第1巻では「大平洋戦争への道」ということで、満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争開戦に至るまでの流れについて語っています。
日露戦争で満州の権益をロシアからすべて譲り受けた日本は、満州を開拓していきます。満州は天然資源の宝庫で、日本人の移民先として期待されていました。
1931年に柳条湖の鉄道が爆破され、満州事変が起こります。日本軍が爆破したものですが、日本軍は中国軍のしわざとして、満州の軍閥張学良の軍隊を攻撃します。しかし、張学良は反撃を控えて国連盟に提訴しようとします。朝鮮に駐屯する日本軍である朝鮮軍は独断で軍を移動、満州事変に援軍します。この動きを日本政府は問題視しますが、事後承認してしまいます。
このような日本の動きをアメリカは危険視しますが、さらに上海で第一次上海事変が起こります。陸軍が列強の目をそらすために起こしたとも言われています。
そして満州国が建国されます。
国際連盟はリットン調査団を派遣し、満州国を調査させます。孤立を深める日本は国際連盟から脱退します。
1936年に二・二六事件が起こり、軍人によって政治が動かされるようになります。資源を求めて軍には南進論が台頭し、南洋のトラック諸島は海軍の一大拠点として整備されていきます。海軍の中にも動きが起こり、ワシントン軍縮条約が破棄され、戦艦大和建造が開始されます。
1937年、北京郊外の盧溝橋で盧溝橋事件が起こり、さらに上海では第二次上海事変が起こり、日中戦争が開始されます。日本は南京を占領し、日本国内はお祭りムードになります。そんな中、国家総動員法が可決され、戦時体制は色濃く、国民生活は制限されていきます。
天津事件が起こり、日本軍はイギリス租界を包囲、イギリスは妥協します。アメリカは日米通商航海条約を破棄、日本に対して貿易が制限できるようになります。
1940年、アメリカはハワイに太平洋艦隊の司令部を置き、太平洋における緊張は高まっていきます。アメリカは屑鉄と石油の対日輸出制限を開始します。日独伊三国同盟が締結され、日ソ中立条約も締結、日本では南方に進出しようという機運がいよいよ高まります。
日本は南部仏印に進駐すると、アメリカは石油の全面輸出禁止に踏み切ります。近衛文麿内閣が総辞職し、東条英機内閣が成立、日本は開戦へと突き進んでいきます。

【解説・感想】
太平洋戦争開戦への道を振り返って見たときに、なぜ戦争へと突き進んでいったかを考えたときに、国民の支持があったことがうかがわれます。満州事変、日中戦争と大陸への戦線が拡大していく中で、新聞は満州こそ日本にとって大事と書き立て、国民もまたそれを支持していった様子が感じられます。
戦争が国民の重荷になり、軍部が台頭し始めた時、国民の力ではどうにもならなくなっていたわけですが、もし満州での戦争を支持せず、軍部の満州での拡大を戒めるような世論があれば、軍部の独走という形はまた違ったものになったかもしれないと思います。
歴史を振り返ったとき、大小の動きが積み重なって戦線は拡大していき、太平洋戦争へとつながっていったように思われます。初期のうちに動いていれば戦争を回避してよりよい日本を作るような動きができたのではとも思いますが、日本は戦争への道を転げ落ちていきます。

太平洋戦争 第一集+第二集 DVD全10巻


 

第2巻 開戦

【内容詳細】
第2巻「開戦」では、開戦前の作戦準備から、真珠湾攻撃、マレー半島上陸作戦、シンガポール占領、フィリピン占領、そしてインドネシア占領までを描いています。
日本は東南アジアにおける資源を確保するため、南方への進攻を構想します。
ハワイは日本から6100キロ。山本五十六連合艦隊司令長官は対米戦長期戦は困難と考え、緒戦で一撃を加えて早期に停戦するという構想の下に、真珠湾攻撃を考えます。軍令部は山本の作戦を承認しませんが、山本が職を辞するという意気込みに軍令部も折れます。
そして択捉島に集合した空母部隊は、ハワイを目指して進みます。最新の情報では、ハワイの空母は出動中ということでした。
国務長官ハルのところに対米覚書(宣戦布告)が手交されたのは、真珠湾攻撃から1時間後のことでした。この真珠湾攻撃では生還は見込めない特殊潜航艇も使用され、10人の乗組員のうち9人は戦死、1人は捕虜となりました。
ヨーロッパへ参戦したかったルーズベルトは、これを機に第二次世界大戦に参戦します。
開戦の勝利に日本の国民は歓喜熱狂します。戦争は勝てるかもしれないという雰囲気が生まれます。
1941年12月10日のマレー沖海戦で、初めて航行中の戦艦と航空機の戦いが行われ、イギリス戦艦2隻が沈没、航空機の強さを思い知ったアメリカは、以後、航空戦力を充実させていくようになります。
マレー半島の戦いでは英軍は橋を爆破して撤退、日本軍の工兵はひたすらに橋をかけていきます。湿地帯も多く、日本軍はぬかるみに苦戦します。
そしてシンガポールにたどり着いた日本軍は、シンガポールに砲撃を開始します。
イギリスはシンガポールに3か月籠城する予定でしたが、給水設備を破壊され、食糧が底をついたイギリス軍は降伏します。
大きな油田のあったインドネシアのパレンバンに日本軍は空挺降下、油田を占領します。このことは国民を大きく勇気付けました。インドネシアに日本軍は上陸するも、連合軍はイギリスやオランダの寄せ集めの軍隊で、統制を欠き、大きな力にはなりませんでした。
フィリピンでは、マニラを非武装都市としたマッカーサーはバターン半島、コレヒドール島へと後退し、籠城しました。日本軍は2回にわたってバターン半島を攻撃します。アメリカ兵・フィリピン兵は飢え、マラリアに侵されていて、降伏しました。
そして、「バターン死の行進」が起きます。米捕虜8万人分の食糧の用意が日本軍にはありませんでした。日本は国際赤十字条約を批准せず、日本人将兵も捕虜への対応を教育されていませんでした。
占領した土地をどう運営するのか、政府も軍部も具体案を用意していなかったのです。

【解説・感想】
開戦初期に日本軍は調子よく戦線を拡大しますが、日本軍は入念に準備し、また米英軍の準備不足もあり、緒戦は勝利しました。シンガポールを攻撃するときもコレヒドール島を攻撃するときも、日本軍は多量の砲弾を持っていて、初期の勢いを感じます。
対して米英軍は食糧不足に悩み、バターン半島の米兵は飢えとマラリアに苦しみ、これは後に日本兵が味わった苦しみと同じでした。しかし、米英軍は敗北が確実と分かると降伏し、兵士たちの損傷を避けるように努力しました。日本軍の捕虜禁止主義と相反する判断ですが、捕虜となることも可というのは生きる希望があった点で米英兵の士気を高めたものと思います。大量の捕虜に日本軍も対応に苦慮することになりますが、そのことはバターン死の行進といった悲劇を生むことになります。
日本軍の準備に準備を重ねた開戦により、緒戦は大いに勝利した日本軍ですが、奇襲という厳しい時間調整から宣戦布告が遅れるという事態も招き、緒戦で一撃を加えるという短期決戦作戦構想の難しさを感じます。
人生においても、短期決戦で無理をするよりも、持久戦のかまえでじっくりコツコツやることが大事とも言えるかもしれません。持久戦で耐えられる計画を立てることが大事だと思わされます。

太平洋戦争 第一集+第二集 DVD全10巻


 

第3巻 戦線拡大

【内容詳細】
第3巻では、ビルマ全土占領からラバウル占領までを見ていきます。
ビルマ(現ミャンマー)は元々独立した王国でしたが、イギリスの支配を受け、独立を望む声が高まっていました。
米英はビルマを通じて月に15000トンの軍需物資を中国に支援。物資はビルマの首都ラングーンに陸揚げされ、ビルマ北部の山脈地帯を通って中国へと輸送されていました。また、日本軍のビルマ占領を予期して、インドから中国へのレド航路も作られ始めていました。
この援蒋ルートの遮断のため、日本軍はビルマ占領を考えます。
当初、日本軍は工作員をビルマに送り込み、ビルマ独立を志すビルマ人たちを支援し、反英活動をさせて妨害することを計画しますが、予想外に戦争が好調に進み、陸軍によるビルマの直接占領を企画します。
タイ国境より日本陸軍部隊がビルマに進撃、山脈地帯を越えて、ビルマ第3の都市モールメンを占領、さらに進撃します。イギリス軍は戦車隊で反撃しますが、日本兵は兵隊による肉薄攻撃で戦車を撃破、そしてビルマ首都ラングーンに入城します。
日本軍はビルマ人に歓喜の声で迎えられます。ビルマ独立を旗印としたビルマ人によるビルマ独立義勇軍を従えており、日本はビルマ独立を支持してくれると思ったからです。ビルマ人は日本軍を支持し、協力しました。しかし、日本からは独立を認められず、ビルマ人は日本への不信感を募らせていきます。
1942年4月5日、日本軍空母部隊はセイロン島(スリランカ)を空襲、インド洋を押さえてドイツ軍と手を結ぶつもりでした。航空隊の爆弾命中率は80%以上に及び、当時の日本空母部隊の訓練度の高さを物語っています。イギリスの東洋艦隊を撃滅した日本海軍は、インド洋の制海権も掌中に収めます。
南太平洋では、ラバウルから発進した米軍のB−17がトラック諸島を爆撃しており、日本軍はラバウルの攻略の必要性を感じていました。日本軍はラバウルに進出し、これを占領、さらにラエ・サラモアを占領し、ポートモレスビーを狙います。
日本は大東亜共栄圏の建設を進めます。フィリピンはアメリカ植民地支配下の40年ですっかりアメリカ化し、東洋民族としての誇りを取り戻させるのが日本の使命だと思われていました。地元人の教育に立つ人を育てることが目標と日本は考えました。
アメリカは当面はヨーロッパに集中するというイギリスとの約束もあり、大規模な作戦は大平洋で実施できませんでしたが、空母部隊で日本軍占領下の太平洋の島々を奇襲攻撃します。狙いとしては日本軍を分散させ、オーストラリアへの輸送路を確保したいという思惑がありました。
第二段作戦の構想がなかった日本軍は急ぎ第二段作戦を企画します。海軍はオーストラリア攻略を提案しますが、オーストラリアという遠くて広大な土地は占領できないと陸軍が反対し、海軍はアメリカとオーストラリアの遮断を考えます。
アメリカは世界を三つの戦区に分け、太平洋をアメリカ担当、インド洋をイギリス担当、そして大西洋を米英の共同担当としました。太平洋区域の総司令官をニミッツとし、南西大平洋方面の司令官をマッカーサーと任命。新たな陣容でアメリカ軍は巻き返しを狙います。

【解説・感想】
日本軍はビルマ独立義勇軍を作らせ、ビルマ独立に燃えるビルマ人志士たちを集め、軍事訓練を施しました。ビルマ人はイギリスからの独立を志していました。そこに日本軍が入り、日本軍は独立を助ける存在として歓迎され、ビルマ人は日本軍に協力しますが、いつまでも独立を認めない日本軍にビルマ人は不信感を募らせていきます。
そのような構図はアジア各国で見られた構図で、当初は解放軍として日本軍を歓呼で歓迎しましたが、旧支配国と何ら変わらない姿勢を見て、現地の人々は日本に対して反感を持つようになります。特にアメリカによって西洋化が進み、独立も約束されていたフィリピンでは、日本軍の支配に強く反発するようになります。
日本が「与える存在」であれば、アジア各国の人たちも協力を惜しまなかったかもしれませんが、日本にはそのような力はありませんでした。南方の資源を求め、自存自衛が日本の目標だったわけですが、資源をただ欲する日本には、見返りやそれ以上の対価を現地の人に与えることはできず、大東亜共栄圏という旗印も形骸化していました。またそれだけではなく、当時の日本は「自分が盟主」と非常に頭が高かったことも事実です。
日本が掲げた理想も、日本の国力では到底実現できるものではなく、現地の人たちの不満を買っていきました。そんな現地人たちは連合国に協力し、さらに日本の戦争は苦しいものになります。
人生においても、人に協力を求めるときは、まずは与える、もらうのはそれからでまずは与えることを行動の中核に据えることが大事だと思います。与えるものが何もなければ腰を低くして付き合っていくしかないかもしれませんが、そのような忍耐強さが人から協力を得る上で大事なのだろうと感じます。また、自分の力を冷静に踏まえた上での理想を掲げることも大事と思います。

太平洋戦争 第一集+第二集 DVD全10巻


 

第4巻 ミッドウェー海戦

【内容詳細】
第一段作戦を予想以上に早いスピードで勝利させた日本軍は次なる作戦を考えます。
戦線の防御を固めたい陸軍と、戦線の安定のためにさらに拡大したい海軍とが対立します。
海軍軍令部は米豪遮断作戦を考えますが、連合艦隊はミッドウェー島を狙います。連合艦隊、軍令部、そして陸軍の思惑は異なっていました。
そんなとき、ドーリットル爆撃が行われます。米空母を発艦した爆撃機は日本へ奇襲爆撃を行います。
この日本本土爆撃はアメリカ国民の士気を大いに高めると同時に、日本軍に衝撃が走ります。このことはのちのミッドウェー海戦につながっていきます。
ミッドウェー海戦の前に、日本軍はポートモレスビーの攻略を考え、MO作戦を発動します。珊瑚海海戦です。アメリカ軍は日本軍の動きを事前に察知し、珊瑚海に空母を派遣します。空母ヨークタウンは日本機動部隊の艦載機の攻撃によって大火災を起こし、空母レキシントンもまた大火災、レキシントンは味方の雷撃により自沈処分となります。しかしヨークタウンは米軍の強力な修理能力で修理され、ミッドウェー海戦に参加します。
空母翔鶴は爆弾3発を食らい大破。日米の修理能力の差で、翔鶴はミッドウェー海戦に参加できませんでした。
米軍はとにかく暗号解読に力を入れます。そして日本軍の攻撃目標がミッドウェー島であることをつかみます。そしてミッドウェー海戦がはじまります。
ミッドウェー島の占領なのか米空母の撃滅なのか、日本軍の作戦の目標はあいまいでした。
日本の第2機動部隊はアリューシャン諸島のダッチハーバーを攻撃、また南雲中将率いる第1機動部隊はミッドウェー島を空襲します。おとり攻撃であるダッチハーバーに米空母部隊が向かったと信じる南雲中将率いる第1機動部隊は、米空母攻撃のために用意していた航空機の魚雷を陸用爆弾に転換します。そんなとき、米空母を南雲部隊は発見しました。南雲中将は武装を魚雷に戻そうとし、日本機動部隊の空母甲板上はてんやわんやとなります。
その時、米空母発進の急降下爆撃機が空母赤城に襲いかかります。果たして爆弾は命中、甲板上の爆弾や魚雷が次々に誘爆を起こし、赤城は大火災となります。空母加賀、空母蒼龍も次々に攻撃を受けます。
残ったのは空母飛龍。飛龍を指揮する山口少将は直ちに発艦を命令、空母ヨークタウンを攻撃します。ヨークタウンは傷つき、最終的に日本軍の潜水艦の雷撃により沈みます。
残った飛龍にも米軍航空機の攻撃は殺到、日本軍の空母4隻はすべて沈みます。
山本五十六連合艦隊司令長官が強引に進めた作戦は失敗に終わりました。
日本国内においては嘘の結果が発表され、天皇にも偽りの報告がされました。海軍の中でもごくわずかの人間が真相を知るのみで、ミッドウェー海戦に参加した人間は本土から遠ざけられ、真相は固く伏せられたのでした。
アメリカは徐々に生産力が向上してきます。そして、アメリカは反撃を開始しようとします。

【解説・感想】
日本との戦いを進めるにあたって、暗号を必死になって解読するなど、アメリカ軍も相当の努力を払っていることを感じます。確かに日本軍はアメリカ軍の物量に負けたかもしれません。しかし、単に物が豊富なだけではアメリカ軍は勝てなかったでしょう。
アメリカ軍は真珠湾の敗戦に学びました。日本軍の動きを早期に察知するためにレーダー技術に磨きをかけ、暗号解読をし、日本軍の動きを知ろうとしたのです。真剣に日本軍を研究し、日本の動きを知ろうとし、アメリカの科学技術力の高さも相まって、暗号解読に成功し、そのことはミッドウェー海戦の勝利へとつながっていきます。
ドーリットルの日本本土爆撃では、アメリカ軍は真珠湾の借りを日本に返すことになりました。爆撃機を空母から発艦させるというアイディアでこの日本本土奇襲爆撃を成功させます。アメリカもまた相当な知恵を絞り、訓練を重ねたからこそ、日本軍はアメリカ軍にしてやられることになりました。
私たちの生活で考えるとき、アメリカ軍のような粘り強さが必要なのだろうと思います。
真珠湾攻撃のように大失敗をしても、そこから学び、こつこつと努力を積み重ねることで、ドーリットル爆撃、珊瑚海海戦、そしてミッドウェー海戦と勝利を重ねたように成功を積み上げていくことはできるのだろうと思います。
失敗に諦めず、そこから何が足りなかったのかを考え、努力していくことが大切なのだと考えます。

太平洋戦争 第一集+第二集 DVD全10巻


 

第5巻 ガダルカナル

【内容詳細】
アメリカとオーストラリアの連絡路を遮断する作戦を考えていた日本軍でしたが、珊瑚海海戦、そしてミッドウェー作戦の失敗でフィジー・サモア攻略作戦は中止となり、つまづきます。
ミッドウェー海戦で空母を失った日本海軍は、陸上基地が必要になり、零戦の航続距離を考え、ギリギリにあるガダルカナル島の占領を企画します。
一方、米軍の目標は日本の根拠地であるラバウルの攻略でしたが、やはりその前進基地としてガダルカナル島が必要でした。
日本軍の動きは現地人による沿岸警備隊によりアメリカ軍に知らされていました。
そして米軍はガダルカナル島に上陸します。日本軍はアメリカの本格反攻を1943年以降と考えていて、この上陸を偵察程度だろうと思っていました。第一次ソロモン海戦により米軍艦隊は撤退、日本はガダルカナルの米兵力を残存勢力と考えます。「大急ぎで駆け付けなければ敵は逃げてしまう」とその程度の認識だったのです。
アメリカは日露戦争の日本の目覚ましい勝利を見て、日本を仮想敵国と定め、太平洋の島々で戦う専門の部隊「海兵隊」を作ります。水陸両用の戦闘に特化した部隊を作ったのです。
日本は一木支隊を派遣しますが、米軍海兵隊の防衛に敗北、日本軍はその敗北に半信半疑になりながらもさらに川口支隊の派遣を決定します。しかし、その川口支隊の戦いも敗北します。アメリカ軍に勝てば食糧が手に入ると日本軍は考えていました。一方、米軍も補給不足に苦しみ、両軍苦しい戦いが続きます。
日本は本格的な師団の投入を行ないます。日本海軍は戦艦を突入させてアメリカ軍飛行場を砲撃して、その間に師団の陸揚げをしようとしますが、アメリカ軍は残った飛行機を集めて日本の輸送船を攻撃、日本の輸送船は沈められます。
日本軍の陸上部隊(第2師団)はジャングルを進撃、ちょうど雨季が到来し、密林と雨に苦しみます。そして総攻撃を行ないますが、この攻撃は失敗します。この総攻撃に合わせて連合艦隊は機動部隊を派遣しますが、米空母と遭遇、南太平洋海戦が発生、米空母ホーネットを沈めるも、空母翔鶴も大破します。
日本軍はさらに陸軍師団を送り込もうとし、再び戦艦により飛行場を砲撃しようとしますが、第三次ソロモン海戦により日本海軍は戦艦2隻を失い、輸送船も沈められました。この戦いにより初めてアメリカ軍は勝利を確信します。
日本では東条英機首相が軍に使用させていた船を民間に返却することを要請、大本営と対立します。
ガダルカナル島の敗北は明らかでしたが、誰も撤退を口に出せません。天皇の憂慮によって御前会議が召集され、海軍はガダルカナル島からの撤退を上奏します。
日本はガダルカナル島から撤退、そのことは「転進」と表現されることになりました。

【解説・感想】
日露戦争以後、アメリカは日本を仮想敵国として海兵隊を設立し、戦いの準備に余念がなかったところですが、日本は海軍がアメリカを仮想敵国と考えるも、陸軍はソ連を仮想敵国とし、海兵隊のような水陸両用の部隊は作られることがなく、日本全体の仮想敵国、目標意識は統一されていませんでした。
日本はミッドウェーで大敗北するも、やはりアメリカ軍の戦力を侮り、軽視していました。ガダルカナル島に上陸したアメリカ軍の規模を把握できることがなく、兵力を小出しにし、密林の中で撃破されていきました。そして撤退を言い出すことができずにさらに損耗を拡大しました。
日本陸軍は中国戦線の経験だけで戦争を考え、アメリカ軍との戦いに対応することができませんでした。海軍もまた艦隊決戦にこだわり、艦隊を輸送船や陸上飛行場の攻撃など柔軟に活用することができなかったのです。ミッドウェーの敗北は隠されていました。そんな隠された敗北が日本軍のアメリカ軍蔑視を増長させたとも思われます。
敗北を隠さずに共有し、そこから次なる改善策を学び、組織一丸となって統一された目標に邁進していく必要があります。私たちの生き方においても、自分たちの中できちんと失敗を共有し、目標意識を共通させた上で、向き合う課題の難しさを正確に推量して、自分の力量と向き合う課題の難しさを考えながら事にのぞんでいくことが必要だと考えます。

太平洋戦争 第一集+第二集 DVD全10巻


 

第6巻 ニューギニア

【内容詳細】
第6巻ではニューギニアの戦いに焦点が当てられました。
ニューギニア島のアメリカ軍・オーストラリア軍の拠点、ポートモレスビーを陸路で進攻し、攻略するという作戦計画が立てられ、ニューギニアの峻険な地形を越えられるのかまずは研究が必要だということで「リ号研究作戦」が実行されました。ブナに上陸した日本軍は、ポートモレスビーへのルートの研究を始めました。
そんな折、リ号研究作戦は研究成果を待たずして本格的な進攻作戦に格上げされました。辻政信大本営参謀の独断でした。
兵士たちは50kgの背嚢を背負い、工兵隊が自動車道路を作り、前進しました。1942年9月16日にはイオリバイワを占領し、遠くポートモレスビーを望むことができる場所まで進攻しました。しかし、時同じくして進んでいたガダルカナル島の戦況悪化で補給ができなくなり、ブナへと後退していきました。
一方米豪軍は空中補給を行ない、また地元住民を案内役として戦いを進めました。
1942年11月、マッカーサーはニューギニアに進出する。日本軍は中国および朝鮮から軍を転用して3個師団をニューギニアへ送り、戦力を増強しました。
ルーズベルトおよびチャーチルは北アフリカのカサブランカで会談し、枢軸国側に無条件降伏を求めることを決めました。
1943年3月3日、ダンピールの悲劇が起こりました。ラバウルからニューギニアに向かっていた輸送船団が米軍爆撃機隊の低空爆撃によって全滅させられます。
1943年4月に「い号作戦」が実行され、その総指揮に山本五十六がラバウルに進出しますが、4月18日、山本五十六は前線基地の視察の途上、アメリカ軍に乗機を撃墜され、戦死しました。
1943年5月に連合軍は北アフリカを占領、北アフリカに張り付いていた部隊を太平洋戦線に転用することができるようになりました。アメリカ軍はカートホイール作戦を発動し、ニューギニア・ソロモン諸島戦線での反攻を本格化しました。
アメリカ軍はシービーズと呼ばれる土木工作部隊を設立し、専門の技術家と工作機械を集め、飛行場を作らせました。彼らは4日で飛行場を作ったといいます。日本軍もまたニューギニアで飛行場の建設を進めていましたが、アメリカ軍の爆撃で飛行場の建設は進みませんでした。
連合軍は「飛び石作戦」という強固に防衛された場所を素通りして重要な拠点だけを占領するという作戦を取り、当初の目的であった日本軍の拠点ラバウルの攻略については、ラバウルは封鎖にとどめて素通りすることが決定されました。
連合軍はラエに上陸し、ラエから撤退しました。
撤退においては歩けない負傷兵は置いていくほかありませんでしたが、そんな負傷兵たちが機関銃で連合軍に応戦する音が遠く聞こえたと言います。連合軍の捕虜になった兵士たちは戦後も多くを語りませんでした。
連合軍はホーランジア・アイタペに同時上陸し、さらにビアク島に上陸しました。日本軍はアイタペを攻撃する作戦を計画しました。安達軍司令官は積極攻勢方針で、アイタペ攻撃作戦を実行するも大失敗に終わりました。攻撃しなくてもよい作戦だったとも言われています。
ニューギニアでは日本軍は途方もなく長い行軍を行い、戦死は13万人、生還できたのは3万人と言われています。兵士たちは「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と表現していました。

【解説・感想】
アメリカ軍は日本軍の輸送船を積極的に沈め、その補給路を断ち、日本軍を壊滅させようとします。
1943年3月3日に起こったダンピールの悲劇は非常に大きな敗北で、輸送船団はアメリカ軍の爆撃で一隻も残らず沈められてしまいます。主要な艦隊や陸上部隊を攻撃しようとした日本軍に対し、アメリカ軍は後方補給をつかさどる輸送船団の撃滅を狙い、補給ができなくなった日本軍は飢え、自滅していきます。
アメリカ軍の土木工作部隊シービーズの活動も着目されます。アメリカは土木工作に力を入れ、専門の技術集団を作り、ブルドーザーなどの専門機械も多く導入し、飛行場の建設を短期間で終わらせてしまいます。アメリカは後方支援の部門をなおざりにせず、力を入れました。そのことはアメリカ軍の制空権の獲得に大きな力となりました。
アメリカは相手の弱点が何で、自分たちがどこを強化すればよいのか、よく心得ていたように思います。日本の弱点を的確に突き、重要な点を強化する。物資の差だけでなく、そういった考え方にもアメリカの優れた点はあったように思います。
自分の長所短所を見極め、長所を活かし、短所をカバーする。そして物事の弱点を見極める。そんな冷静な判断力が私たちの人生の中でも求められるのだと思います。

太平洋戦争 第一集+第二集 DVD全10巻


 

第7巻 太平洋の島々

【内容詳細】
1943年になるとアメリカは戦時体制を確立し、兵力が充実してきます。アメリカもまた国力を総動員して戦争へ向かいました。
アメリカはまずナチスドイツを屈服させるためにヨーロッパへ兵力の大部分を向けており、太平洋戦線に向けられる兵力は少なかったのですが、そのような中で、将兵の士気を鼓舞するため、アッツ・キスカ占領を狙います。アッツ・キスカはアメリカ領であり、威信にかけて奪回が必要だったのです。
1943年5月12日、米軍はアッツ島に上陸、日本側はガダルカナル島の二の舞を恐れて援軍を送ることを諦め、アッツ島は玉砕することになります。日本にとって初の玉砕で、「玉砕」という言葉もこの時初めて生まれました。
1943年9月8日には同盟国の一国であったイタリアが降伏します。イタリアの敗北で地中海を押さえたイギリスの艦隊がインド洋に出てくるのではないかという恐れが生じました。元々日本の戦略はドイツがイギリスを屈服させ、アメリカの戦意の喪失を図り、講和に持ち込むというものでしたが、そのドイツは劣勢に陥っており、イタリアが降伏したことで、日本の戦略は見直しが迫られました。
1943年9月30日、絶対国防圏が設定され、戦線の縮小が図られます。国内の総動員体制も強化され、未婚女性や女学生、中学生も工場へ動員、大学生の学徒出陣も行われます。
一方、アメリカは大攻勢に出るよりも増産に力を入れていました。多くの飛行機や艦船が産み出されます。
1943年11月1日、米軍はブーゲンビル島に上陸。日本軍はろ号作戦を実行し、ブーゲンビル島航空戦が起こります。しかし日本軍は敗北。この頃になると、日米双方の戦闘機の性能差もはっきりしてきました。パイロットの大量養成に日米双方は力を入れますが、パイロットの養成においてもアメリカに後れをとっていました。
アメリカは、対日作戦計画オレンジプランに沿って、中部太平洋を抜けてフィリピン占領を狙います。そして、ギルバート諸島のマキン・タラワの占領を企画します。
1943年11月21日、タラワに米軍上陸。日本側は空母がなく艦隊決戦ができないということで連合艦隊は出撃を諦め、タラワは25日に玉砕しました。タラワの戦いはアメリカ軍の損害も大きく、アメリカ国内でも問題となりました。アメリカ軍はタラワの戦訓に学び、戦術や兵器の見直しを行います。
日本はアメリカ艦隊は補給のために引き揚げ、次の進攻は当分先のことと考えていましたが、アメリカ艦隊は洋上で補給を行い、基地に引き揚げることはなく、次の戦いを練っていました。翌1944年1月31日、マーシャル諸島へ米軍上陸、クェゼリンが陥落、さらに米軍艦隊は日本海軍の一大拠点トラック諸島を2月17日に大空襲し、大きな打撃を与えます。日本は多くの船をここで失うことになります。
日本海軍はラバウルから航空隊をすべて引き揚げ、トラックへ移動させました。ラバウル航空隊は終焉することになります。1944年3月31日には古賀連合艦隊司令長官が殉職し、海軍内は混乱します。
アメリカはさらにフィリピンとマリアナ諸島を狙い、攻勢の準備をします。

【解説・感想】
アメリカはその主戦力をドイツを倒すためにヨーロッパに向けており、日本方面は副方面として限られた戦力しか投入できていなかったところですが、それでもアメリカ軍は兵力を上手に活用し、日本軍に打撃を与えていきました。
日本は総動員体制を強化し、未婚女性や女学生、中学生たちを工場へ動員し、戦力を立て直し充実させようとします。兵士たち男たちだけでなく、銃後の国民や女性たち、子どもたちも戦争に巻き込まれ、戦争の運命の中に翻弄されていきました。戦争とは兵士たちだけでなく、国民を女性や子共たちをも巻き込み、飲み込んでいくものであることをあらためて思います。
注目する点としては、アメリカが洋上補給を行い、燃料弾薬や食糧はもちろん、航空機をも洋上で補給したというところで、アメリカ艦隊は後方に下がることなく、次の戦いに臨むことができました。アメリカは洋上補給の技術など後方支援の技術もなおざりにせずに研究を重ねていました。前線の戦いばかりに注目しがちであった日本軍との彼我の差がこんなところにも出ているように思います。
後方支援や生産力の強化に力を入れたアメリカ軍の戦い方には学ぶところが多いように思います。前線の戦いだけでなくいかに後方支援や本土の生産力、戦時体制の確立と強化が大事であることをアメリカは感じ取っていたわけですが、私たちの生き方においても、問題解決のためには、目の前の対応をどうするかというだけでなく、それにつながる土台や下地の強化ということも大事であることを考えさせられます。
戦争が男たちだけなく女たちや子どもたちをも巻き込んでいくように、物事に取り組む上では、自分だけでなく周りの人たちをも巻き込み、飲み込んでいくことを理解し、周りの人間のことも考えた取り組みが大事なのだろうと思います。

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第8巻 インパール作戦

【内容詳細】
日本軍はビルマを占領し、援蒋ルートを遮断しましたが、アメリカは航空機を使ってヒマラヤ山脈を越えて中国へ援助物資を送り込みました。日本軍を中国へ引きつけておきたかったのです。イギリスは植民地奪回としてビルマ進攻を考えます。
アメリカはインドから中国へ続くレド公路の建設を計画し、中国軍に軍事教練を課し、彼らを鍛えます。
日本軍は第15軍司令官に牟田口廉也中将、その上部組織としてビルマ方面軍を新設し、その司令官として河辺正三中将を任命しました。
イギリス軍はチンディット部隊をビルマに送り込み、ビルマの鉄道破壊などゲリラ活動を進めます。彼らはアラカン山脈を踏破してインドからビルマへ侵入し、補給は空中補給で送り込みます。
チンディット部隊の侵入に手を焼いた日本軍はインドの拠点インパールを攻略する作戦を考えます。しかし、補給が続かないのではとこの作戦は疑問視されました。
1943年7月、東条首相は東南アジア諸国を訪問しました。戦争遂行のため資源をもらう必要があり、その見返りとして独立を保証することになりました。ビルマの独立は、同じく独立を求めるインドに影響を与えると思われました。
チャンドラ・ボースはシンガポールで自由インド仮政府を樹立し、インド独立を狙います。1943年11月に大東亜会議が開かれ、ボースは自由インド軍を率いてインパール作戦に参加すると声明、東条首相はインパール作戦に政治的な意味を見出していました。そしてインパール作戦は認可されたのです。
1944年3月8日、インパール作戦は開始されました。
31日にはコヒマを占領、順調に進んでいるかのように見えましたが、実はイギリス軍の戦略で、インパール付近まで日本軍を引きつけて撃破する作戦でした。インパールに進出した日本軍は、インパールに通じる道路をすべて封鎖していましたが、イギリス軍は空中補給を行ないました。インパールに孤立したイギリス軍は空中から豊富な補給を受けていました。一方の日本軍は人力による徒歩による運搬の補給で、量はまったく十分ではありませんでした。
さらにイギリス軍は空挺降下を実行し、日本軍は孤立しました。また、雨季が到来し、激しい雨のために身動きがとれなくなります。
現地の日本軍は補給を求めました。日本軍は飢え、弾薬も十分ではなかったのです。インパール作戦の継続は難しいかに思われましたが、東条首相はインパール作戦の続行を主張しました。ボースとの約束があったからです。
1944年6月6日、河辺中将と牟田口中将の会談が行なわれるも、二人は作戦中止を言い出せませんでした。そして、コヒマを占領していた第31師団長佐藤幸徳中将は軍命令に抗命し、独断にて撤退、コヒマは開通し、イギリス軍がコヒマを通ってインパールに援軍し、インパール作戦は危機的状況になりました。
1944年7月1日、インパール作戦中止を天皇に上奏、インパール作戦は中止されました。
日本軍将兵が撤退していった道は日本兵の死体が続き、白骨街道と呼ばれました。
抗命した佐藤幸徳中将は軍法会議を覚悟していましたが、軍法会議により軍上層部と天皇に責任が及ぶことを恐れた軍上層部は精神の病を発したと理由を付けて佐藤を軍法会議にかけず、不起訴処分としました。
その後、米軍、中国軍、そしてイギリス軍がビルマに進攻し、ビルマの日本軍は駆逐されていきます。

【解説・感想】
インパール作戦は太平洋戦争でも特に悲惨な作戦として知られていますが、なぜそのような作戦が行われたのか、背景には牟田口廉也中将の強引な作戦の推し進めだけでなく、東条英機首相の政治的な思惑もありました。チャンドラ・ボースを支援し、インド独立を刺激したいという理由や、敗色濃い戦況の中で攻勢に出て勝利を得たいという思惑が重なり、作戦は実行されました。
結果は補給が続かないという当初の見方通り、やはり補給が続かず、日本軍の大敗に終わりました。
補給が続かず苦戦することは、戦いに参加した3個師団の師団長は3人とも不安に思っていることでありました。しかし、軍司令官の牟田口中将は強固に作戦実行を主張し、政治的な思惑も重なって大本営もそれを認可します。
普段の私たちの人生においても、強固な主張が通って結果は厳しいものに終わるということはあるかと思いますが、他の意見も尊重し、複数人数によるチェックを働かせて、より望ましい結論を得るように努力するということが大切であるように学びます。
作戦が失敗濃厚であったとき、河辺と牟田口の二人の司令官はお互いに作戦の中止を言い出せずに、作戦は両司令官が失敗したと思っていたときでも続けられていました。失敗を認め、物事を中止する勇気もまた司令官には必要であると思います。そのことは太平洋戦争の終戦の決定にも言えることだと思います。

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第9巻 フィリピン

【内容詳細】
1944年2月、東条首相が陸軍参謀総長を兼任、嶋田海軍大臣も海軍軍令部総長を兼任します。戦局は劣勢となっており、東条首相は強力な指導力を発揮しようとします。
日米双方ともにマリアナ諸島が重要拠点とにらんでおり、アメリカはサイパン島攻略を狙います。サイパン島では米軍来攻を1944年末と考えており、陣地構築は始まったばかりでした。そんな時、1944年6月15日、アメリカ軍はサイパン島に上陸します。日本軍守備隊は水際で反撃を行いますが、激しい米軍の攻撃に水際から後退します。
海上では、日本軍機動艦隊が米空母艦隊を発見、艦載機を発進させて米空母攻撃を狙います。日本軍側は勝利を確信しました。しかし、米軍は最新鋭のレーダーで200km先から来攻を探知、戦闘機隊を上空に待機させて日本軍機を待ち伏せします。その攻撃を縫って米空母に肉薄した攻撃隊も、レーダーと連動した米艦隊の対空砲に撃墜されます。アメリカは高性能のVT信管を開発しており、日本軍機は撃墜され、米空母はほとんど被害をうけませんでした。
翌日、米空母艦隊は日本機動部隊を発見、艦載機を発進させ、日本機動部隊は事実上壊滅しました。
サイパン島では民間人も捕虜になることを禁じられていました。1944年6月26日、大本営はサイパン島奪回を断念、程なくしてサイパン島は玉砕。テニアン島やグアム島も玉砕します。
マリアナ以降、通常のやり方では勝てないと思った日本軍は、特攻を考え始めます。1944年9月13日、海軍特攻部を設置、特攻が本格的に検討されます。
サイパン島の失陥の責任を取り、東条内閣は退陣します。代わって小磯内閣が成立します。
アメリカ軍はフィリピンを攻めるか台湾を攻めるか協議していました。海軍が押す台湾攻略と陸軍マッカーサーが押すフィリピン攻略かで対立しましたが、伝統的にフィリピンを支配してきたアメリカの威信にかけてフィリピンを奪回したいというマッカーサーの意見が採用され、フィリピン攻略が決まりました。アメリカでは大統領が軍の最高司令官であり、大統領の元に強力なリーダーシップを発揮することができました。
1944年10月12日から16日にかけて、台湾沖航空戦が起こります。日本軍は空母11隻を撃沈したと発表しますが、これは海軍の誤認であり、実際は1隻も沈めてはいませんでした。この誤報は政府にも陸軍にも伝えられませんでした。小磯首相もこの誤報の大戦果を信じ、決戦の時は来たと国民に訓示します。
1944年10月20日、米軍はレイテ島に上陸します。当初日本軍はルソン島で決戦を考えていましたが、決戦場所をレイテ島に移すことを決定。兵力を移送しますが、輸送船が沈められ、兵力の移動は進みません。
フィリピンのマバラカット飛行場で神風特別攻撃隊が編成されます。大和をはじめとする連合艦隊主力がレイテ湾に殴り込み、上陸部隊および輸送船を砲撃して撃破するという作戦に呼応して、神風攻撃隊も特攻作戦を実行します。特攻作戦は予想外の戦果を生み、以後特攻作戦は日常的な戦術になっていきます。
10月24日、武蔵が沈没します。栗田司令長官率いる大和をはじめとする主力部隊は、謎の反転をします。レイテ湾突入のチャンスは失われます。
特攻兵器である人間魚雷「回天」の訓練が大津島で行われていました。ウルシー泊地に停泊する米空母部隊を撃沈するため、回天は出撃していきます。
1945年1月9日、米軍はルソン島リンガエン湾に上陸、3月3日にはマニラを完全占領します。アメリカはその矛先を沖縄へと向けていきます。

【解説・感想】
アメリカは大統領が軍の最高司令官であり、大統領を中心に軍の指揮はまとまっている一方で、日本は政府と大本営、陸軍と海軍が各個に動いており、その統合は難しいものがありました。ミッドウェー海戦の敗北も政府や陸軍には秘密とされましたが、台湾沖航空戦でもその誤報は政府や陸軍には秘密とされ、誤報に基づいて誤った戦略を政府も陸軍も考えることとなり、日本軍全体の連絡や統合が図られなかったことは日本の敗北につながったと思われます。
そしてフィリピンの戦いを始めとして、いよいよ特攻作戦が開始されます。特攻作戦は当初は大きな戦果を挙げ、そのことにより次々と特攻作戦を重ねることになりましたが、次第にアメリカ軍も対策を練り防備を固めるようになり、その戦果は減少していきました。
すでにミッドウェー海戦の巻でも語りましたが、言いにくいミスも組織内できちんと共有されることが必須です。その上で、最高責任者をはっきりさせ、最高責任者の権限をしっかりとして、組織全体が円滑に動くように図られるべきだと思います。
現代日本においても、過労死は絶えることなく、過労による自殺も増えている現実があります。特攻のような行為はもう二度とあってはならないものと思いますが、現代日本においても特攻のようなことが行われていないと言えるのか、考える必要があると思います。生命の尊さを重んじ、みんなが生きていける、死ななくてもよい社会を作っていく必要があるように思います。

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第10巻 沖縄、そして敗戦

【内容詳細】
1944年11月24日、B−29による東京初空襲が行なわれ、中島飛行機の工場が狙われました。日本はB−29の迎撃に手を焼き、B−29への体当たり部隊も作られました。
B−29の爆撃作戦にあたり、アメリカは硫黄島の占領を狙いました。硫黄島はマリアナから日本本土への中間地点にあり、爆撃機の不時着場所として必要だったのです。
1945年2月19日、米軍は硫黄島に上陸、激しい戦いの末、23日には擂鉢山を占領します。硫黄島では日本軍将兵は水不足に悩み、アメリカ軍の火炎放射器の攻撃に陣地を焼かれるも奮戦しました。そして、ついに玉砕を迎えます。
硫黄島の戦いはアメリカ軍の損害が日本軍の損害を上回る稀有な戦いとなりました。
日本はアメリカ本土を直接攻撃しようとして風船爆弾を開発します。風船爆弾はジェット気流に乗り、太平洋を渡ってアメリカ本土を攻撃するというものです。アメリカは国民の動揺を避けるためにこの爆弾を秘密としました。9000個以上が打ち上げられ、1000個がアメリカ本土やカナダにたどり着いたと言われています。
1945年3月9日から10日にかけて、東京大空襲が行なわれます。犠牲者は8万人と言われ、さらに名古屋、大阪、神戸などの大都市が空襲を受けます。
日本本土が戦場となり空襲を受けるに及び、日本国民は大本営発表に疑問を持つようになります。
1945年4月1日、アメリカ軍は沖縄に上陸します。日本軍は台湾に襲来するのではないかと予想していましたが、米軍は沖縄を攻撃します。日本軍は硫黄島の戦いの教訓も受けて、丘陵地帯に陣地を築き、アメリカ軍を引きつけ、奮戦し防衛します。大本営は飛行場の奪回をくりかえし命令、日本軍は飛行場奪回の攻撃を行いますが、失敗します。
1945年4月6日、戦艦大和が水上特攻で出撃、翌7日、沈没します。大和の生存者は300人足らずでした。
沖縄の飛行場を一時的に使用不能にし、特攻作戦を助けるため、歩兵を載せた飛行機を強行着陸させて飛行場を攻撃するという作戦が立てられ、このために義烈空挺隊が編成されました。米軍が占領した飛行場を1日使用不能にしましたが、特攻機は天候不良で出撃できませんでした。
1945年4月7日、鈴木貫太郎内閣が成立。14日にはルーズベルトが急死して、日本はアメリカの作戦方針が変化することに期待しましたが、その後大統領に就任したトルーマンはルーズベルトの政策を受け継ぐことを発表します。
5月、ドイツ軍が降伏し、ヨーロッパに派遣していた軍団を太平洋戦線へ送り込みます。
7月16日、原爆実験が成功し、トルーマンはドイツ戦終了後のソ連との対立を見て、ソ連参戦前に日本を屈服させることを考え、原爆投下を決断します。日本に終戦の機会を与えるためにポツダム宣言を発表しますが、終戦工作でソ連に期待をつないでいた日本はこれを黙殺。広島長崎の原爆投下とソ連対日参戦を迎えます。
1945年8月15日、玉音放送が流れ、太平洋戦争は終戦しました。
8月30日にマッカーサーが厚木飛行場に到着、9月2日に東京湾に停泊した戦艦ミズーリ艦上にて降伏調印式が行われ、戦争は正式に終わりました。

【解説・感想】
アメリカは日本への資源輸送を断ち切り、日本を包囲すれば屈服させられると考えていましたが、フィリピンを占領して南方の資源地帯との連絡を遮断されると、日本はたちどころに物資不足で戦争継続が困難になりました。
アメリカ軍はB−29爆撃機により日本を連日爆撃、本土が戦場になるにつれ、日本国民もいよいよ大本営発表に疑問を持つようになります。日本は技術開発も航空機増産も立ち遅れ、B−29を迎撃することが十分にできず、爆撃は苛烈さを増していきました。
1945年に入ると日本の敗北はほぼ確定していましたが、日本政府はソ連を通した仲介に望みをつないでおり、戦争を終わらせることができずに、2発の原爆の投下を受け、ソ連参戦を迎えます。もしソ連参戦がなければ、北方領土問題もシベリア抑留問題も起こらず、もしかしたら北朝鮮も生まれていなかったかもしれませんが、大きな損失を受けて日本は敗北しました。もっと早く降伏を決断できていれば、と思いますが、一度始まった戦争を終わらせることは非常に難しいということを感じます。
物事を終わらせることは何であれ難しいものです。
失敗が確実と思われたときに、犠牲が拡大するまえに終わらせる決断力が必要だと思います。
責任者にしてみれば、自分の身の保証はないかもしれませんが、何かを始めるときには責任者として、犠牲が拡大するまえに終わらせるという覚悟と決意が必要だと思います。
物事を終わらせる難しさと決断力の重要性を感じます。

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【完】

 

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