砂漠の狐|専門家コラム 母が乳がんになったとき

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母が乳がんになったとき

今から10年以上前、2003年頃だったと思う。
その年の暮れ、母に乳がんがあることが分かった。
電話で知らされたとき、私は
「母が死んでしまう」
と思った。
母の乳がんを知らされたのは土曜日で、たまたま月曜日に仕事の休みを取っていた私は、翌日曜日の始発の新幹線に乗り、自分が住む埼玉から実家のある秋田へ向かった。
母のがんは中期で右側の乳房に明確なしこりがあるような状況で、手術をしなければならなかった。
初期を過ぎていたということに衝撃を受けたし、生還できるのか分からなかった。

母が死に直面しているこのときに、自分が長年研究してきた第二次世界大戦で何かヒントになる話はないかと必死に脳内を探し回った。
そんなときに思い出したのが、ヴィクトール・E・フランクル著の『夜と霧』だった。

フランクルは第二次世界大戦時代、ナチス・ドイツが作った強制収容所に入れられて、囚人として大変な苦しみを味わい、そして生き残った精神科医である。そのドイツ強制収容所時代の体験を描いたのが『夜と霧』である。
私はこのような記述があったことを思い出した。
「彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。」(フランクル著、霜山徳爾訳『夜と霧』)
ドイツ強制収容所という人類史上稀に見る苛酷な場所で、どういった人が生存し、どういった人が亡くなってしまったのか、フランクルは未来を信じていた人と分析する。フランクルが記すエピソードによれば、とある仲間が収容所の解放日を夢のお告げで聞いたという。夢のお告げを聞いてその人は元気になったが、伝え聞く戦争の状況は一向に解放に向かっているようには思われず、しだいに夢のお告げの解放日が近づいてくるにつれ、徐々に体調を悪くしていき、夢のお告げが外れたことが分かったその日の翌日、亡くなってしまったという。

この話を思い出した私は、母に「希望を持つことが大事だ」と話した。
希望を持っていれば、生き残ることができる。未来に希望を失ってしまったら死んでしまう。だから、希望を持ち続けることが大事だ、と母に話した。『夜と霧』で学んだことも話した。
そう話していて、じゃあ希望を持つとはどういうことか、どんな希望を持てばよいのか、にわかには分からなかった。とにかく私はドイツ強制収容所のフランクルの体験談と母の乳がんを重ね合わせ、思いつくことを必死になって話していた。

実家に帰ったとき、母が寿司が好きなことを思い出して、寿司屋に行って奮発して特上の寿司を取ってみんなで食べた。手術については「ためらうことなくすぐに切れ」と私は言った。兄も私も十分に成長し、母の乳房はお役御免となっている。ためらうことはない、すぐに切ってしまった方がよいと母に話した。
その後、母は乳がんの手術を受け、がん本体は無事に切除することに成功した。
転移の可能性があるということで、抗がん剤治療を受け、髪の毛は全部抜けてしまったし、原因不明の発作を起こすこともたびたびだったが、10年経ち、心配された転移はなく、がん治療も終息した。
私の話したことがどれだけ効果があったか不明ではあるが、母はなんとか生還し、ありがたいことに元気に今日も生きている。

第二次世界大戦から私はいろいろなことを学んだ。
その学んだことは自分の人生に生き、いろいろな場面で顔を出し、自分の人生の悩みを解決する時のヒントになったように思う。
そんな話をこれから徐々にしていけたらと思う。

掲載日:2015年11月27日

 

 

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