ブログ 2015年9月

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川口支隊のガダルカナル島総攻撃

1942年9月12日、川口支隊はガダルカナル島の
アメリカ軍ヘンダーソン航空基地に向けて総攻撃を開始しました。
8月に一木支隊先遣隊が攻撃して失敗したヘンダーソン航空基地に対して、
川口支隊による総攻撃(一木支隊に続いて第2回目)が開始されました。
ヘンダーソン東側のタイポ岬に上陸した部隊と
同じくヘンダーソン西側のタサファロングに上陸した川口支隊は、
東西からヘンダーソン飛行場を挟撃する作戦に出ました。

日本軍歩兵の銃剣突撃戦術に対して、アメリカ軍は機関銃による十字砲火で対抗、
双方の火力の差は歴然としていました。
飛行場の南から進んだ支隊主力2千名は、飛行場突入直前に阻止され、
700名以上の戦死者を出しました。
この戦場は「血染めの丘」と呼ばれることになります。
川口支隊の総攻撃は失敗に終わりました。

川口支隊の残存兵は補給が続かず、島から退くこともできず、島内で飢えていきます。
またラバウルから連日航空機が飛び立ち、ガダルカナル島上空で空中戦を展開しますが、
日本軍の航空機は一機また一機と撃墜され、果てしない消耗戦がくりかえされていきます。
そのような中、日本軍はさらなる総攻撃を企画することになります。

もう9月も終わろうとしていますが、
この9月にガダルカナル島を巡って激しい戦いが繰り広げられました。
ガダルカナル島で日本軍将兵が苦しんでいたのがこの秋の時期です。
往時の激しい戦いをしのびます。

掲載日:2015年9月28日(月)

 

安保関連法案が成立

昨日、安全保障関連法案が成立しました。
今までの日本の安全保障の大転換になったと思いました。
すぐに私たちの生活に影響が出ることはないのかもしれませんが、
いずれ徐々に私たちの生活にも影響が出るのではないかと思います。
おそらく、日本全体の雰囲気は徐々に日本の自衛と戦争を意識したものに変わっていくのではと想像します。

今まで長らく軍事マニアをやっていて、
その軍事というテーマ上、なかなか世間には受け容れられるものではなかったですが、
そういう受け容れられなさを感じているうちが華だったのだろうとも思います。
今後はあまり軍事というテーマは世間に抵抗がなく受け容れられるようになっていくのかもしれませんが、
なぜ軍事が受け容れられなかったのかと考えたときに、
戦前の日本は嫌だったよね、あの戦争は嫌だったよねという国民の意識があったのだと思うので、
そういう戦前戦中の時代を知っている人が亡くなっていなくなって、
近隣諸国の脅威もかき立てられる中で、
徐々に昔の日本と同じ歩みをたどっていくのではないかと心配にもなります。

第二次世界大戦・太平洋戦争を通して日本国民が味わった痛み。
その痛みを思い出していけるように、
これからも第二次世界大戦の勉強を続けていきたいと思います。

掲載日:2015年9月20日(日)

 

南海支隊イオリバイワ占領

1942年9月16日、陸路からポートモレスビーを攻略しようとしていた南海支隊は、
標高4000メートル級のオーエンスタンレー山脈を越え、
ポートモレスビーから北東約50キロの地点であるイオリバイワまで進出しました。

珊瑚海海戦で海路からポートモレスビーを攻略する計画が失敗してしまい、
日本軍は陸路からオーエンスタンレー山脈を突っ切ってポートモレスビーを攻略するという計画を考えていました。
道は何もなく、ジャングルと山を切り開いて踏破するという計画で、
当初は研究作戦ということで、まずはそんなことができるのか調べて研究してみるということだったのですが、
研究が不十分なうちから、正式な進攻計画に格上げされてしまったのです。

ポートモレスビー進攻計画はガダルカナル島攻撃作戦と同時に進められました。
南海支隊がイオリバイワに進出していた裏では、
9月12日、川口支隊がガダルカナル島で総攻撃を行ない、失敗しています。
ポートモレスビー方面とガダルカナル島方面という大きな二正面作戦を行なっていたのですが、
日本軍はそれぞれの米豪連合軍を過少に評価していて、その二つの作戦の同時並行を進めていました。

中国で連戦連勝を続けた日本軍。
アメリカ軍をあなどり、二正面作戦を進めた気持ちも理解できるような気はしますが、
敵の戦力を見誤ったことで、大きな失敗を残すことになりました。

南海支隊はイオリバイワまで進出しましたが、補給の限界でもう進撃する力は残っていませんでした。
敵地に十分に引きつけられた形となった南海支隊は、
米豪軍の手痛い追撃を受けることになります。
そのまま南海支隊は敗北して出発点ブナへと戻っていきます。

掲載日:2015年9月16日(水)

 

亡くなった祖父の誕生日

今日は亡くなった祖父の誕生日だと気が付きました。
祖父は太平洋戦争に従軍していて、
私と太平洋戦争・第二次世界大戦をつなぎ合わせる大きな接点です。
もともと生まれた時から第二次世界大戦の物事に興味を持ちましたが、
祖父が与えた影響はとても大きなものがありました。

祖父が太平洋戦争に従軍したのは20代前半で、
もっとも青年として重要な時期を太平洋戦争という時代で過ごしました。
私が同じ年頃の頃、20代前半をどのように過ごしたかと考えた時、
戦争という時代をすごさねばならなかった祖父や当時の若者たちの
思いを考え直します。

今日思い出していたのは「手榴弾は投げ返される」という話で、
手榴弾を投げるときはしばらく待ってから投げる、
そうしないと爆発するまえに投げ返されてしまう
という話を語っていたのを思い出しました。
祖父は前線で戦ったという経験はないはずなので、
この話は他人から聞いたものであったかもしれませんが、
いつも話はリアルでした。

祖父は詳しく本音で戦争のことを語ってくれました。
私も当時の時代にタイムスリップして、
祖父と一緒に太平洋戦争を戦っているような錯覚を感じながら、
祖父の戦争体験を聞いていました。
その言葉からは特別反戦も好戦もなかったですが、
そのリアルな戦争体験は
自然と私の思想を育ててきたように思います。

祖父はもう亡くなってしまいましたが、
先人たちの苦労話を聞くというのはおもしろく、勉強になり、意味深いと思います。

掲載日:2015年9月15日(火)

 

長くブログ更新を休んでいました

どうも、こんにちは。皆さんお元気ですか?
2週間程度、長くブログを休んでいました。
この間、体調を崩していて、ブログを更新することができませんでした。
ご訪問してくださった方々には申し訳ありませんでした。

さて、昨日は9.11の日、アメリカ同時多発テロの日でした。
あれからもう14年になりますが、あっという間の14年だったように思います。
アメリカの敵は長らく大国ソ連でしたが、ソ連は倒れ、
その後に起こった湾岸戦争もアメリカ率いる多国籍軍の大勝利で、
もうアメリカを制する敵はいなくなったと思っていましたが、
無敵な国は一つもないということをあらためて思い知らされました。
アフガニスタンやイラクを巡る戦争は泥沼化し、
北朝鮮が軍事開発を進め、新たなる脅威となっています。

稚拙であるかもしれませんが、
また第二次世界大戦、太平洋戦争に関する研究を始めていきたいと思っています。
よろしくお願いします。

掲載日:2015年9月12日(土)

 

ポーランドの苦難 第二次世界大戦始まる

1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻し、
第二次世界大戦がはじまります。
9月27日に首都ワルシャワが陥落。
およそ1か月でポーランドは降伏することになります。
実はこの時、ソ連軍もポーランドに侵攻しています。
ドイツとソ連はポーランド分割に関する秘密協定を結んでいて、
ソ連軍はポーランドになだれ込みます。
ドイツとソ連と両方から挟まれ、
そのまま1か月でポーランドは消滅することになります。

私が思うのは、その後のポーランド人の苦難の歴史です。
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線は1945年5月まで続きますが、
およそ6年にわたってポーランドはドイツに占領され続け、
ポーランド人はドイツに迫害され続けます。
ドイツに迫害され続け、戦後はソ連に占領されて共産圏となり、
ソ連の支配下に置かれて、苦しみの絶えない時期が続きます。
戦争の初めから6年にもわたってポーランド人は捕虜となり、
あるいはドイツの占領下にあったわけですが、
その苦しみは相当なものだっただろうと想像します。

このときから第二次世界大戦は始まり、
同時にアジアでは日本と中国が衝突していました。
そして2年後、1941年12月、
日本はアメリカと開戦、太平洋戦争に突入します。

掲載日:2015年9月3日(木)

 



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