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花岡事件起こる

1945年6月30日、秋田県にある花岡鉱山で中国人労務者が蜂起、
花岡事件が起こります。
およそ800人の中国人が蜂起、日本人4人を殺害し、逃亡を図りますが、
次々に見つけられ、事件は鎮圧されます。

秋田では花岡事件はよく語られる事件で、
テレビのニュースでも毎年この時期になると伝えられました。
子どもの頃、テレビで花岡事件のことを放送していて、
何だろうと思ったことがあります。
とても有名な事件であるのにもかかわらず、
あまり知られていないような印象を受けます。

花岡鉱山には多くの中国人が強制連行されて、過酷な労働に従事しました。
秋田に生まれた者として、花岡事件には興味があり、
今後もじっくりと調査していきたいと思っています。

掲載日:2015年6月30日(火)

 

ビアク島の玉砕

1944年6月28日、ビアク島の日本軍が玉砕しました。
ビアク島はパプアニューギニアの北西にある島で、
飛行場に適した広大な平地があり、
アメリカ軍は反攻を進めるにあたってビアク島を狙いました。
5月27日、アメリカ軍が上陸、日本軍は劣勢な中で防備を固め、アメリカ軍の進出を防ぎました。
アメリカ軍が上陸してから1ヶ月以上、飛行場として利用させるのを阻止しましたが、
押し寄せるアメリカ軍に耐えきれずに、6月28日、ついに玉砕しました。

太平洋の島々の戦いにおいて、
日本軍はそれぞれに孤立し、補給もなく、戦い続けました。
時間稼ぎの任務は十分に果たしたと思いますが、
その稼いだ時間で何ができたのかと言うと、疑問を感じます。
時間稼ぎをするのであれば、その間に何かができなければならないと思いますが、
当時の日本軍にはその力はなく、ただ悲劇を延長したにすぎないように思われます。

そしてマリアナ諸島も陥落し、日本の絶対国防圏は打ち破られ、
徐々に包囲網は日本へと近づいていきます。

掲載日:2015年6月29日(月)

 

希望を持ち続ける

今日はちょっとつらい出来事があり、
アウシュビッツ強制収容所のことを思い出していました。
V・E・フランクル『夜と霧』によれば、
アウシュビッツ強制収容所において、
希望を失った人はすぐに死んでしまったということでした。
収容所を出る希望を失わず、
希望を持ち続けた人が生き残り、生還を果たしたということでした。

絶望の日々が続くアウシュビッツ強制収容所。
そのような中で生きる希望を持ち続けることは大変なことだったと思います。
私は辛いとき苦しいとき、
アウシュビッツ強制収容所に生きた人たちのことを思い出してきました。
希望を持って生き続けようと
いつも思うのです。

私の苦しみは
アウシュビッツ強制収容所の話を思い出すには
とても比較にならないくらいに小さなことですが、
辛い日々を送った人たちのことを思い出し、
自分も生きようと思います。

掲載日:2015年6月28日(日)

 

マリアナ沖海戦

1944年6月19日、マリアナ沖海戦が起こりました。
サイパン島に上陸したアメリカ軍を攻撃し、サイパン島を防衛するため、
日本海軍は空母を中心とする主力艦隊を派遣します。
そして、アメリカ軍の空母部隊と衝突することになります。

アメリカ軍はエレクトロニクスを発展させていて、
VT信管という最新鋭の対空砲弾を用意していました。
砲弾から電波を発信して敵航空機が近づいてきたことを探知し、爆発するというもので、
日本軍はそういった高性能な兵器はまったく開発できていませんでした。
アメリカ軍はもともと発展していたレーダーをさらに発展させて、
迫る日本軍機を事前にレーダーで探知し、
自らの戦闘機を向かわせ、効果的な迎撃を行ないました。

技量が未熟になっていた日本軍機は、
アメリカ軍の戦闘機隊の猛攻をくぐりぬけることができず、
艦船に近づいても、高性能な対空砲火に撃墜されました。
そして「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれ、惨敗を喫したのでした。

アメリカ軍が電子技術を発展させていたのに対し、日本軍は人力に頼り、
見張りもアメリカ軍はレーダーを使ったのに対して、日本軍は人間の眼が中心でした。
初期の性能が悪い技術のときは、日本軍の人的技術はすばらしく、連合軍を圧倒しましたが、
連合軍の技術が整ってくると、日本軍は劣勢となっていきました。

サイパン島の救出は思うようにできず、
6月24日、サイパン島の放棄が決定されます。
サイパン島をはじめとするマリアナ諸島は占領され、
そこから発進したB−29が日本本土を空襲するようになります。

掲載日:2015年6月27日(土)

 

日本軍ガダルカナル島上陸前夜

1942年7月6日、日本軍はガダルカナル島に上陸します。
海軍の飛行場設営隊が上陸、ガダルカナル島に飛行場建設を開始します。
73年前の今頃、海軍の少数の人間がガダルカナル島を分析し、
ガダルカナル島への上陸の準備を進めていたのだと想像します。

夏は終戦の季節ですが、ガダルカナル島の戦いの始まりの季節でもあります。
8月7日、アメリカ軍はガダルカナル島に上陸します。
そして半年にわたって、この島を巡って激しい戦いが繰り広げられます。

日本軍は、ガダルカナル島がこんなに激しい戦いになるとは
まったく想像していなかったと思います。
同時にポートモレスビーの陸路攻略も開始するわけですが、
ガダルカナル島とポートモレスビーの二正面作戦を日本軍は進めます。

掲載日:2015年6月26日(金)

 

太平洋戦争研究を諦めない

太平洋戦争を研究しているとその難しさに時として茫然とすることがあります。
私は何度も太平洋戦争を研究することに挫折をしてきました。
あまりにも難しいし、知っている人はさらに上を行って知っているし、
絶望にくれて研究をやめようかと思ったことも多々ありました。
けれども、太平洋戦争を研究することには辞められないなにかがあるのです。
私は何かわかりませんが、太平洋戦争が発する大きな引力にひきつけられて
今まで、生涯に渡って、太平洋戦争を追いかけてきました。

太平洋戦争を知ろうとすることは、
そのあまりの複雑さ、あまりの重さに耐えかねて、
時として投げ出したくなるかもしれません。
けれども、太平洋戦争を知ろうとすることはとても大事なことだと思うのです。
太平洋戦争で亡くなった多くの人たちの声が
私たちに語りかけているように思われます。
未来に向かって、同じあやまちを繰り返さないように、
私たちは太平洋戦争を知る必要があると思います。

これから夏になります。暑くなってきましたね。
太平洋戦争がクライマックスを迎えるシーズンになります。
太平洋戦争を諦めずに、これからも知る努力をがんばっていきましょう。

掲載日:2015年6月25日(木)

 

サイパン島の放棄

1944年6月15日にサイパン島に上陸したアメリカ軍は
日本軍の猛烈な抵抗に遭いながらも徐々に占領地を広げ、
日本軍はサイパン島救出のため連合艦隊を派遣するも、
6月19日のマリアナ沖海戦で大敗北を喫し、
サイパン島を守備する日本軍は絶体絶命となっていました。
そして、6月24日、大本営はサイパン島奪回の見込みなしとして、
サイパン島放棄を決定します。

日本軍は洞窟やサトウキビ畑に隠れ、ゲリラ戦を展開し、
頑強に抵抗しましたが、
アメリカ軍は火炎放射器を活用し、
洞窟一つ一つを焼き、サトウキビ畑を燃やし、
日本軍をあぶりだしていきました。
そして、追い詰められた日本軍兵士と民間人たちは、
崖から飛び降りて命を失ったのでした。
この後、7月7日にサイパン島守備隊は玉砕します。

6月15日にアメリカ軍が上陸して以来、
1ヶ月を経ずしてサイパン島は玉砕することになります。
サイパン島放棄が決定してから、
日本軍将兵はどのような気持ちで戦争と向き合ったのでしょうか。
日本軍兵士と市民たちの怨嗟の声を聞くような気がします。

掲載日:2015年6月24日(水)

 

沖縄慰霊の日

今日は沖縄慰霊の日です。
1945年6月23日、沖縄を守備する第32軍司令官牛島満中将が
司令部のある壕の中で自決、
沖縄における日本軍の組織的な戦いが終了しました。
沖縄県はこの日を沖縄戦が終わった日と位置付け、
「沖縄慰霊の日」と定めています。

今日正午過ぎ、NHKで沖縄全戦没者追悼式を生中継していて、
私はその放送を見ました。
翁長沖縄県知事と安倍首相の演説を聞きました。
沖縄戦の敗北によって沖縄に広大な米軍基地が生まれ、
今なお巨大な米軍基地が沖縄の負担になっている現実を思いました。

沖縄全戦没者追悼式は糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われ、
平和祈念公園には多くの市民が集まっていました。
戦没者の名前が刻まれている「平和の礎」には、
多くの人が集まり、花や酒などを供えていました。

8月の広島長崎の原爆忌や終戦記念日に比べて、
今日の沖縄慰霊の日はあまり目立っていないようにも思われますが、
太平洋戦争に関する非常に重要な日だと思います。
沖縄戦で亡くなった兵士や市民たちのことを思い出しました。

掲載日:2015年6月23日(火)

 

NHKスペシャル「戦後70年ニッポンの肖像 “平和国家”の試練と模索」を見て

NHKスペシャルで戦後70年ニッポンの肖像というシリーズを放送していますが、
昨日放送された「“平和国家”の試練と模索」を見ました。
冷戦の終結から湾岸戦争、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争と続く
世界の歴史とそれに続く日本の対応を見て、
自分の記憶をふりかえりながら、番組を見ました。
湾岸戦争で自衛隊を海外派遣するかどうかということで
国を二分する大きな議論になったことをあらためて思い出しました。

私が興味を持ったのは、フィリピンでの事例で、
ミンダナオ島でフィリピン政府とイスラム武装勢力とが対立をしていたとき、
緒方貞子さんを中心とする日本が二者の仲介を行ない、
フィリピンの平和と安定に大きな貢献をしたということで、
日本主導でそのような平和への貢献がなされていたのかということを知り、興味を持ちました。
日本の主導による外交努力で貢献できることがあるのだと思いました。

国連平和維持活動や各地の紛争の停戦監視など、
一見地味な活動ではありますが、
各地の平和の維持に貢献していることを考えました。

平和はただ待っていれば得られるものではなく、
かと言って、武力に走るのは悲劇を招くということで、
この二律背反を解決するよい方法はなかなか見つからないのが現実ですが、
これからも粘り強く解決に向けた努力ができたらと思います。

掲載日:2015年6月22日(月)

 

サイパン、そして沖縄

6月23日の沖縄慰霊の日が近づいてきました。
そして、6月24日は日本の大本営がサイパン島放棄を決定した日でもあります。
1944年6月24日にサイパン島放棄が決定され、
その1年後、1945年6月23日、沖縄守備軍司令官牛島満中将が自決、
沖縄戦は組織的抵抗を終えることになります。

兵士も民間人もあわせて、多くの日本人が自決しました。
サイパン島で多くの悲劇が繰り広げられ、
その悲劇はかわることなく、1年後、沖縄で繰り広げられます。
6月はそんな悲劇の月でもあります。

今日の日本は梅雨で各地で豪雨が降っているようですが、
関東は奇跡的に晴れていました。
そんな空を見上げて、
遠く南の空に思いをはせました。

掲載日:2015年6月21日(日)

 

太平洋戦争から人生の悩みを解決する

今日はとある仲間うちの発表会に行き、
歴史好きの人と会ってきました。
人生の悩みについて歴史の先人たちに学ぼうという試みを聞き、
いろいろ刺激を受けてきました。

思えば私も太平洋戦争からいろいろなことを学んだと思います。
人生に悩んだとき苦しんだときどうしたらよいか分からないとき、
太平洋戦争のことを思い出し、
あの将軍だったらこんなふうに思ったかもしれない
そんなことを思いながら、
人生の局面を切り抜けてきたように思います。

太平洋戦争や第二次世界大戦から
人生を学ぶ、人生の悩みを解決する、
そういった試みができないか、研究を深めたいと思っています。

掲載日:2015年6月20日(土)

 

「原爆の図」展、ワシントンで開幕

埼玉県東松山市にある原爆の図丸木美術館の「原爆の図」が
アメリカワシントンのアメリカン大学美術館で13日から展示されています。
ワシントンで「原爆の図」が展示されるのは初です。

私は以前に丸木美術館を訪れ、原爆の図を見たことがあります。
なかなか分かりづらいところにある美術館で、あちこち探しながら美術館にたどり着きました。
原爆の図は壮絶な絵で、原爆がいかなるものであるかを淡々と物語っていたように思います。
その原爆の図がアメリカに渡って首都ワシントンで展示されたということで、
とても感慨深く思っています。

原爆の悲惨さをアメリカで語ることは難しいと思っていましたが、
戦後70年が経過し、アメリカ国民の間でも考え方が変わってきたのだろうかと思います。
1995年、ワシントンのスミソニアン博物館で原爆の図を展示しようとしたときに、
退役軍人の人たちらの反対にあって事実上の中止になったということですが、
さらに20年の時を経て、アメリカでの公開が成功したことは、
とても貴重な一歩ではないかと思いました。
人類の共通の思いとして核兵器は悲劇であるということが
共有できたらと思います。

参考URL:原爆の図丸木美術館

掲載日:2015年6月19日(金)

 

風邪引きました……

風邪引きました……
悪寒がします。
昨日は眠れなくて夜起きていたのですが、
それがよくなかったのかどうか知りませんが、
今日になって風邪に発展しました。

風邪をひいても太平洋戦争については思考が巡るのですが、
思考が巡るだけで手が動きません。
今日はゆっくり風邪を治して、
また明日からブログを執筆したいと思います。

掲載日:2015年6月18日(木)

 

18歳からの選挙権

今日、18歳から選挙権を与える法律が国会で成立し、
選挙権が18歳に引き下げられることが確定しました。
いよいよ新しいうねりがきたなと思いました。
現在、安全保障に関する改正法案がたくさん出ていますし、
憲法改正などもさかんに議論されているところですが、
これからの国民である若い世代に大きく関連するところですから、
ぜひ関心を持って投票所に足を運んでほしいと思いました。

このホームページでは若い世代の戦争に関する疑問を解決する
ということをテーマに制作を行なっていますが、
もちろんそうでない世代にも分かりやすく戦争が伝わるようにと思いますが、
やはりこれからの若い世代にこそ、
戦争のことを知ってもらい、関心を持ってもらいたいと思い、
若い世代にも伝わる分かりやすいホームページ制作を心がけているつもりですが、
ますますこれから若い世代に向けた情報発信が大事になってくると思いました。
これからも分かりやすい解説を目指しがんばっていきたいと思います。

掲載日:2015年6月17日(水)

 

長髪、パーマ、ネオンの禁止

1939年6月16日、国家精神総動員委員会は、
長髪、パーマネントを禁止し、ネオンを全廃することを決定します。
軍部は国民生活の細部にまで入り、統制を強め、軍事体制を築こうとしていきます。

1937年7月7日の盧溝橋事件を皮切りに始まった日中戦争は
南京を占領しても決着がつかず、1938年、1939年と経っても
戦争を終わらせる糸口が見えずに泥沼化していました。
そのような中で、国民の精神を総動員し、
国民生活の窮乏を我慢させようという体制が作り上げられていきます。

パーマが禁止された理由としては、電力を使うという理由が挙げられ、
電力を軍事産業に振り向けるということで、パーマは禁止されました。
女性はおしゃれを制限され、地味に我慢して生きることを強要されていきます。
太平洋戦争が始まる2年以上も前から、
すでに日本はこのような状況でした。
この時点で、日本の敗北は決まっていたようにも思われます。
追い詰められた状況で、
日本は太平洋戦争へと向かっていきます。

掲載日:2015年6月16日(火)

 

NHKスペシャル「沖縄戦全記録」を見て

昨晩、NHKスペシャル「沖縄戦全記録」が放送され、視聴しました。
戦場の死者の映像が流れるなど、
今までのNHKスペシャルでは見られなかった
一歩踏み込んだ番組になったと思いました。
洞窟から70年経った今でもたくさんの遺骨が発見されるという事実に
驚きました。

沖縄住民がどこで死んだか、その死者の数をグラフ化したり、
客観的に見られたように思います。
こういったグラフデータが一般の研究者にも活用できるように
公開されたらいいなと思います。

印象的だったのは逃げる沖縄住民と思われる人が銃撃で倒れる映像で、
ショッキングでもありましたが、
住民もまた容赦なく巻き込まれる戦争の現実を感じました。
戦争を経験した人で語りたがらない人も少なくないですが、
こういった情景を目の当たりにしたときに、
思い出すことはとても辛いことだろうと思います。
戦争を語るとは嫌なことでもあり、勇気が必要なことなのだろうとも思います。

なぜ戦争を早く終えることができなかったのかと思うと同時に
なぜ投降することを認めることができなかったのか、
住民たちまで自決しなければならなかったのはなぜなのか、
問いは尽きることがありません。

あっというまの1時間で、大変思うところが多いNスぺとなりました。
当時の戦争を生きた人の証言が得られるのも
今が最後のチャンスなのだろうと思いますが、
これからも戦争に関する特集を組んでほしいと思います。

参考URL:NHKスペシャル「沖縄戦全記録」

掲載日:2015年6月15日(月)

 

サイパン島上陸前夜

明日はサイパン島上陸の日です。
1944年6月15日、アメリカ軍はサイパン島に上陸しました。
今でこそサイパン島は常夏の楽園の島ですが、
71年前、サイパン島では戦争がありました。
そして、アメリカ軍に追い詰められた日本人は、
バンザイクリフと呼ばれた崖から飛び降りて命を絶ったのです。

アメリカ兵たちは上陸用舟艇母艦の船倉の中で、
故郷を思いながら上陸の号令を静かに待っていたことでしょう。
そして、迎え撃つ日本兵たちも、
やはり故郷を思いながら、洞窟陣地でアメリカ軍の上陸を
黙って待っていたことでしょう。
激しい爆撃に洞窟が揺れ、土が崩れるのに耐えながら。

今日の関東は梅雨で重い雲がたちこめています。
遠く太平洋戦争時代のサイパン島を想います。

掲載日:2015年6月14日(日)

 

NHKスペシャル「沖縄戦全記録」明日放送

明日、NHKスペシャル「沖縄戦全記録」が放送されます。
思えば沖縄戦も終盤で、沖縄慰霊の日(6月23日)が近づいていると思いました。

4月1日、沖縄本島にアメリカ軍が上陸しました。
そして沖縄中部の飛行場を制圧し、
沖縄南部に立てこもる日本軍を制圧するために軍を南下させていきました。
日本軍はジリジリと後退しながら、
抵抗を続けます。
その戦いの中で、多くの住民が巻き込まれ、
戦争の犠牲になりました。

民間人が9万人超も犠牲になった沖縄戦。
その被害の壮絶さをあらためて想います。
番組は明日6月14日(日)午後9時からNHK総合で放送されます。
必ず見たいと思います。
参考URL:NHKスペシャル「沖縄戦全記録」

掲載日:2015年6月13日(土)

 

太平洋戦争中の食生活

最近、ヤフーの検索で太平洋戦争と検索すると、
「太平洋戦争 食生活」とキーワードが出て、
太平洋戦争中の食生活に注目が集まっているのだろうかと思いました。

太平洋戦争中の料理で代表的なものといえば「すいとん」でしょうか。
昔、祖母がすいとんを作って食べさせてもらったことがあります。
特に脈絡なく、祖母がきまぐれで作ったものだと思いますが、
あまりおいしくなかったことを記憶しています。
小麦粉を練って団子状にして、
味噌汁のような感じにして作って食べたのですが、
いろいろ工夫すればおいしくなるのではと思いますが、
いまいちな味だった記憶があります。

千葉県松戸市で戦時中の食事を再現するというイベントをやっていて、
そのレシピがインターネットにアップされていますので、
参考までにご紹介します。
千葉県松戸市ホームページ

掲載日:2015年6月12日(金)

 

暑いですね

今日の関東は暑いです。
6月に入って梅雨にも入りましたが、
いよいよ夏という感じがします。
今の時期、太平洋戦争時代はどうしていただろうかと想像します。
1942年であればミッドウェー海戦敗北後をどうするか、
1943年であればアッツ島玉砕後の戦線をどうするか、
1944年であればいよいよ来るサイパン島上陸をどう防ぐか、
1945年であれば沖縄戦をどう戦うか、
そして戦争をどう終わらせるか、
考えている頃なのだろうかと想像します。
いろいろな戦いの節目が6月に押し寄せてきた感じがします。

戦争体験者の体験談を聞くことができる機会をまたいただきました。
とても楽しみです。
聞きましたら、そのお話をまたこちらのブログでも書きたいと思います。

掲載日:2015年6月11日(木)

 

映画「日本のいちばん長い日」

本年8月8日に映画「日本のいちばん長い日」が公開されます。
1945年8月14日、天皇の聖断により、日本の無条件降伏が決定されます。
しかし、この決断に納得しない陸軍の一部はクーデターを起こし、
天皇の終戦を告げる玉音放送が録音された玉音盤を奪取して戦争を継続させようと試みます。
このクーデターは鎮圧され、
翌15日正午に予定通り玉音放送は放送されますが、
8月14日から15日にかけたこの一日に焦点を当てた映画が「日本のいちばん長い日」です。

先日、映画「おかあさんの木」を観たとき、映画館でパンフレットを渡され、
これから上映予定の映画をつらつらと眺めていました。
そうしたら、この「日本のいちばん長い日」が出てきて、
私は「やはりこの夏にこういう映画が来たか」と
食い入るようにそのパンフレットの記事を読みました。

太平洋戦争でもっとも難しい決断は終戦の決断であったと思うのですが、
その終戦の決断に迫る映画ということで、
終戦70周年にふさわしいテーマの映画になっているのではと思います。
2ヶ月後に公開が迫りましたが、とても楽しみです。

参考URL:映画「日本のいちばん長い日」公式サイト

掲載日:2015年6月10日(水)

 

梅雨入り

関東地方は昨日梅雨入りしました。
今朝はしとしとと雨が降っていて、ああ、梅雨に入ったんだなと思いました。
肌寒い感じもしますが、涼しくもあります。
5月は暑かったので、ちょうどよい冷涼感です。

70年前の戦争を思います。
梅雨に入って空襲も一息といったところでしょうか。
ソ連との終戦工作にがんばっていたころでもあり、
本土決戦と叫んでいたころでもあります。

梅雨が明けると本格的な夏です。
終戦記念日が近づいてきます。

掲載日:2015年6月9日(火)

 

御前会議、本土決戦の方針を確認

1945年6月8日、御前会議が開かれ、
本土決戦の方針が確認されました。
これをきっかけに日本国内では「本土決戦」が声高に叫ばれるようになっていきます。
5月に行われた最高戦争指導会議では、
ソ連を仲介とする終戦工作への方針について意見の一致が見られ、
軍部も含んで、終戦への動きがついにはじまりました。
しかし、6月8日の御前会議では、
具体的な終戦への動きについての決定はなく、
本土決戦の方針が確認されることになります。

この頃、ようやく敗戦を理解し始めた軍部をはじめとする日本側は、
できるだけ有利な条件で戦争を終わらせたいと考え、
ソ連に仲介してもらって終戦を図ることができないか真剣に検討するようになりました。
しかし、ソ連にその気はなく、
ソ連との工作は実りが生まれず、ただ時間だけが過ぎていくことになります。

終戦を検討するようになったことは正しいことですが、
まだまだ楽観視が強く、
この時期になって本土決戦を真剣に検討していることは、
日本の力を過信していたものと思います。
戦争を終わらせることは難しく、
戦争を指導する者には相当な覚悟が必要だと思います。

ソ連との工作はただ時間だけが過ぎ、
原爆の投下とソ連侵攻を招き、いよいよ終戦を迎えることになります。

掲載日:2015年6月8日(月)

 

ノルマンディー上陸作戦

昨日、6月6日はノルマンディー上陸作戦の日です。
1944年6月6日、アメリカ、イギリス連合軍は
フランスのノルマンディー海岸に上陸作戦を行いました。
米英連合軍の欺瞞作戦も奏功し、
ドイツはカレー地区を中心に防備を固めており、
ノルマンディー上陸作戦は成功します。

太平洋戦争として注目するのは、
この約1週間後、6月15日にアメリカ軍のサイパン島上陸作戦が行われ、
6月19日にはマリアナ沖海戦が行われており、
アメリカ軍は大西洋と太平洋の二正面で
ノルマンディー上陸作戦とサイパン島上陸作戦という二大作戦を実施したことになります。
この戦いのダイナミックさに驚くと同時に、
ノルマンディー上陸作戦を行った裏でのサイパン島上陸作戦そしてマリアナ沖海戦に
日本軍は完膚なきまでに敗北しており、
アメリカの国力の大きさを感じます。

ノルマンディー上陸作戦が成功したことで、
米英連合軍のくさびがヨーロッパ大陸に打ち込まれ、
ドイツは瀕死へと追いやられていきます。
そして同時にサイパン島にうたれたくさびは、
日本を瀕死へと追いやっていきます。

掲載日:2015年6月7日(日)

 

映画「おかあさんの木」を観る

今日、映画「おかあさんの木」が封切りとなり、さっそく観てきました。
近くのショッピングセンターの映画館で、午前中の第1回目で観ました。
チケットを買うとき、前に並ぶ初老の男性を見て、
「おかあさんの木」を買うのではと思って見ていると、
案の定、「おかあさんの木」を選択しました。
劇場に入って座席を見ると、白髪の人が多く見えました。
手すりにつかまって階段を登るおばあさんも見られ、
やはり高齢者が多く興味を持つようでした。
そして映画は始まりました。

映画の主題はおかあさんの気持ちにありました。
おかあさんの気持ちに深くささり、掘り下げていく内容で、
当時を生きる母の気持ちに迫るテーマで
私は母の気持ちを追体験したのでした。

子どもたちが皆出征していく中で、
長男が出征するときは周りと同じように祝い見送ったおかあさんも、
次男三男と出征する中で徐々に戦争が嫌になっていき、
最後には思わず子供の足にしがみついて出征を止めようとする有様で、
当時の母たちは表面ではそんなことをしなかったと思いますが、
内心ではそのような気持ちだったのだろうと思いました。

「どんなことをしてでも戦争に行くのを止めるべきだった。おかあさんを許してくれ」
というおかあさんの言葉が胸に刺さります。
そんなことは誰でもできるわけはないのですが、
当時の母たちの気持ちを代弁しているかのようでした。

私が比較したのは映画「プライベート・ライアン」。
プライベートライアンでは、3人の兄を失ったライアン二等兵を
8人の特別救出隊が救出に行きますが、
アメリカ軍は救出に行き、日本軍は7人全員をそのままにするかと、
どちらもフィクションの物語ではありますが、
日米の差を感じたようにも思いました。

時代考証的なことをつつけばいろいろな点が出てくるかもしれませんが、
私は母の気持ちに迫る真実を描いた作品だと思いました。
戦争も70年が経って、やっと真実の気持ちに迫れるようになったのだろうかと思いました。
とてもおもしろく感動した作品でした。
現代を生きる若者たちにもその気持ちが感じられる作品ではないかと思います。

掲載日:2015年6月6日(土)

 

ミッドウェー海戦

今日はミッドウェー海戦の日です。
1942年6月5日、太平洋中央部に位置するミッドウェー島を巡り、
日本艦隊とアメリカ艦隊が激突しました。
日本が大敗を喫したことはあまりにも有名な史実であり、
詳しく語るまでもないと思います。

アメリカ軍は暗号を解読し、日本の機動部隊(空母艦隊)がミッドウェー島に攻めてくることを知っていたわけですが、
日本はアメリカ軍の暗号を解読できたりはしませんでしたから、
日本機動部隊はアメリカ軍の動きを察知できずにミッドウェー島に迫りました。
日本側は無線封止で迫り、自分たちの姿は一切探知されていないと誤解していたわけですから、
ミッドウェー島近辺にアメリカ空母部隊はいないと思ったのも致し方ないのだろうかと思います。
仮にいたとしても偶然居合わせたという確率の低さですから、
日本側が油断したのもやむをえないのかもしれません。

しかし、その偶然居合わせるかもしれない可能性に全力をかけて
索敵をするべきだったことはもちろん言うまでもありません。
日本側は索敵が不十分だったことは何度も指摘されているところですが、
十分に警戒して偵察機を多く出して索敵を行っていれば、
防げた大敗であっただろうと思われます。

日本機動部隊の司令部では、ミッドウェー島近海にはアメリカ空母は存在しないと判断し、
航空機に取り付けた魚雷および艦船攻撃用爆弾を陸用爆弾に兵装転換します。
その作業のさなか、敵空母発見の知らせが入ります。
ここで何度も言われるのが、陸用爆弾でアメリカ空母に攻撃をしかけるべきだったということ。
陸用爆弾は貫徹力がなく艦船攻撃には不向きであるわけですが、
空母の甲板を吹き飛ばし空母を使用不能にすることはできるでしょう。
よって、陸用爆弾のままで緊急に飛び立ち、アメリカ空母に攻撃を行うべきだったという意見が多くあります。
しかし、機動部隊司令部は兵装を戻すことにします。
陸用爆弾を艦船攻撃用爆弾および魚雷に兵装を再転換し、
その間にアメリカ空母を発進した攻撃隊は日本機動部隊に忍び寄り、
日本機動部隊の空母4隻はすべて沈むことになります。
思考を柔軟にすることの難しさを感じる場面です。

ミッドウェー海戦で大敗を喫した日本軍は
以後太平洋戦争で主導権を握ることはできず、
続くガダルカナル島の戦いで大消耗戦に引き込まれて敗北、
敗戦に向かって転がり落ちていくことになります。

掲載日:2015年6月5日(金)

 

作戦前夜

明日はミッドウェー海戦の日であり、
あさってはノルマンディー上陸作戦の日です。
1942年6月5日、ミッドウェー海戦は行われました。
そして、1944年6月6日、ノルマンディーに米英連合軍は上陸します。

作戦前夜、将兵たちはどのような気持ちですごしていたのでしょうか。
ミッドウェー攻略に向けて進んでいた日本の大艦隊。
船倉に押し込められて息を飲んでいた上陸部隊の将兵たち。
空母のパイロット、整備員たち……
いろいろな思いを抱えて、ミッドウェー島を目指していたものと思います。
そういった気持ちは、
ノルマンディー上陸を待つ兵士たちの気持ちにも通じるものだと思います。

今日の関東は快晴で、とても気持ちのよい初夏の陽気となっています。
こんな初夏の陽気の中で日本本土の市民たちは
どんな思いで戦争を暮していたのだろうかと想像します。
そして、明日のミッドウェー海戦を迎えます。

掲載日:2015年6月4日(木)

 

映画「おかあさんの木」公開間近



6月6日(土)に映画「おかあさんの木」が公開されます。
「おかあさんの木」は児童文学者大川悦生原作のストーリーで、
7人の息子たちが戦争に行き、息子が戦争に行くたびに桐の木を植えて
息子が帰ってくるのを待ったお母さんの物語です。

この映画を知ったのは地下鉄に乗っていたときで、
地下鉄のドア上のテレビにこの映画の予告編が流れていて、
食い入るように見つめました。
戦後70年の節目であり、
戦争に関する映画は何かあるだろうと思っていましたが、
予告編を見て、
大変おもしろそうと思ったのです。

映画はまだ封切り前なので、詳しいことはわかりませんが、
戦地に行った息子の帰りを待つ母の悲しみが描かれるのだろうと思います。
戦争は死ぬのは男で泣くのは女だと思うのですが、
戦争の悲しみを追体験することになるのではと思います。
映画は見に行く予定です。

掲載日:2015年6月3日(水)

 

NHK歴史秘話ヒストリア「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相」を見て

2月25日に放送されたNHK歴史秘話ヒストリア
「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相」
を見ました。
鈴木貫太郎は天皇の侍従長を務め、二・二六事件で襲撃され、重傷を負いました。
太平洋戦争も終盤となり、敗戦の憂色色濃い1945年、
昭和天皇は鈴木貫太郎に内閣総理大臣になってくれるよう頼みます。
当初は固辞していた鈴木ですが、
昭和天皇に頼み込まれ、内閣総理大臣を拝命します。
そして終戦への舵取りを進めていくことになります。
鈴木貫太郎内閣が成立したのは1945年4月7日、
戦艦大和が水上特攻して沈没した日です。

終戦を決定するとき、
鈴木も昭和天皇も
陸軍のクーデターを恐れていました。
二・二六事件の悪夢は鈴木にも昭和天皇にも深く刻み込まれています。
陸軍の一部はあくまで戦争継続を考えており、
暴発しクーデターに至れば、
終戦を決定する政府はなくなり、日本は終戦を図ることができなくなる恐れがあります。

鈴木も昭和天皇も軍部の暴発を恐れていたということで、
何のための軍隊なのかということをあらためて思いました。
内閣の意見が不一致な状態で、鈴木は天皇に聖断を仰ぎ、
天皇みずからの聖断により
終戦は決定されます。

終戦まぎわの政府の動きを解説する番組の流れを
大変面白く見ました。

掲載日:2015年6月2日(火)

 

ブログを始めて半年が経ちました

太平洋戦争研究ブログを初めてちょうど半年が経過しました。
去年12月1日にブログを初めて、
先月5月1日にこのホームページ内にブログを移行し、
とにもかくにも半年間、ブログを続けることができました。

自分の勉強を深めることができればと思って始めたブログでしたが、
つたないブログを見てくださる人がいて、
見てもらえることが励みとなって、
とにもかくにも今日まで続けることができました。
いつもご覧になってくださり、ありがとうございます。

さて、6月に入りました。
6月といえばミッドウェー海戦であり、
ノルマンディー上陸作戦であり、
サイパン島上陸でもあります。
また、沖縄戦が終了したのも6月です。
たくさんの大作戦が6月を契機に行われました。
大変重要な月であると理解しています。

6月、日本ではあじさいが咲き、美しい季節を迎えます。
そのような季節に大作戦が多く行われたことを
感慨深く思います。
これからもブログを更新していこうと思います。
よろしくお願いします。

掲載日:2015年6月1日(月)

 



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